あたりまえの未来は自分たちでつくる

「あたりまえの未来は自分たちでつくる」という小学校設立を目指しています。

どんな学校をつくりたいのか?~2017年12月版~ その1

 今回は、どんな学校をつくりたいのか、について、現時点(2017年12月)バージョンを書いてみたいと思います。これらは、どんどんアップデートされていくので、何か大きく自分(と一緒にやっていく人たち)の中で変わってきたときに、ここでも書いていきたいと思います。

 


どんな教育を実現したいのか?

 

 私は、どんな教育をこの西原でやりたいと思っているのか。

 それは一言で言うと、「自分の望む未来を自分たちでつくる」ことを学び続ける、その土壌をつくる学校、です。別の表現をすると、「あたりまえの未来を、自分たちでつくる」学校です。

 今、私たちが「あたりまえ」と思っていることは、本当にあたりまえなのでしょうか?こうしてインターネット環境でブログを書いて公開していること、テレビを観ること、暖かい服を着ていること、電気を使っていること、毎日ご飯を食べられること、水を飲めること、、、それは本当にあたりまえなのでしょうか?

 違いますよね。

 かつて、誰かが「こんなことできたらいいよね」「こんなものがあったらいいよね」「こういう社会であったらいいよね」と考え、どうやっていいのかわからなくてもいろいろ試してみて、実現するまでやってきた人たちがいるからこそ「あたりまえ」になっている。

 それは、かつての話ではなく、今だって、ネット環境を整備してくれている人たちがいるからブログが書ける、電気を安定的に供給できるシステムをつくり運営してくれている人たちがいるから電気を使える、米や野菜を育てたり豚を育ててくれる人がいるからご飯が食べられる。人だけでなく、今も動物がいたり自然環境があるからこそ、あたりまえと思うことがあたりまえのようにできる。

 では、私たちはどんな未来を望んでいるのだろう?
 自分たちだけでなく、自分たちの子ども、孫、それよりもずっと先の未来に生まれ生きていく人たちが、どんな暮らしをしていけたら、どんな社会であったらいいのだろう?
 そんな望む未来を描く。そして、その望む未来は誰かに与えられる・誰かが与えてくれるのではなく、自分たちでつくっていくことができる。そのためにはどうしたらよいのか、を子どもたちと大人たちが一緒に考え、知り、学び、実際にやってみる。そんな学校をつくろうとしています。

 

その教育の柱となるものは何か?

 

 今、大きく3つの柱があると思っています。それは、「パーマカルチャー」「プロジェクトアドベンチャー」「ダイアローグ」です。そして、この3つの柱を結ぶものが「探究型学習」であり、その探求型学習の軸で考えているのが「国際バカロレア教育」です。これらの柱や軸を持つと、グローバルな視点・視野を持ちつつ、その地域にあるローカルなもの(文化など)を最大限に活かしていくことができる。そう考えています。これらの柱や軸の一つひとつについては、あらためて書いていきたいと思います。

 予め書いておくと、私自身はこれら一つひとつを教えていくプロでもないし、教育関係者でもありません。ただ、これらの柱や軸は、私自身の人生を大きく転換する経験に大きく寄与したものであったり、妻や身近な人たちの経験を通じて、これらがとても素晴らしいことを知っています。

 

一つ目の柱、パーマカルチャーに観ているもの

 

 今回は、まず、パーマカルチャーについて、少し書いてみます。

 パーマカルチャーには、3つの倫理があります。それは、「Earth Care」「People Care」「Fare Share」です。日本語にすると、「地球に配慮すること」「(自分自身を含む)人に配慮すること」「公平に分け与えること(余剰物を分け合う)」となります。伝える人によって、日本語の言葉は異なりますけれど、本質は同じです。

 この3つの倫理に基づき、自然に触れ、畑仕事や山仕事を行い、家作りや道具づくりをする。食べるものも、住むところも、着るものも、自分たちの手でつくっていく。自由に自然あふれるところで遊ぶことも、とても大切なことだと思う。同時に、とても大切な倫理に基づき、さまざまな体験を通じて学んでいくことは、とても重要だと思っています。

 倫理とか書くと少し難しそう、って感じにもなるかもしれませんが、私の妻をはじめとして友人・知人にパーマカルチャーを学び実践し始めている人たちがたくさんいます。その人たちは、とても心豊かで楽しそうで、充実した暮らしをつくっています。それは大人たちだけではなく、そこにいる子どもたちも同じ。本当にとても豊か。

  子どもたちが大人たちと一緒に、畑仕事や山仕事で、土や木やさまざまな自然に触れる。そして、人や自然の持つさまざまなチカラを分けてもらう。同時に、人としての学びを培っていく。人とも自然とも共生していくくらしかた、生き方を学んでいく。
そんなことが、パーマカルチャーを通じてできるのではないか、と感じています。

 

西原という場所でパーマカルチャーを柱にすること

 

 日本の多くの"田舎"と同じように、西原は自然にあふれる地です。海はないですが、周りは山に囲まれているので森林資源は多く、傾斜地なので小規模だけれども、あちこちに畑がたくさんあります。人柄も、とても優しく、「お茶飲んでいくか。」と頻繁に声をかけてくれます。口調はちょっと柄が悪い感じがありますが、その口調とは裏腹で、とても思いやりがあり、さりげない気遣いをしてくれる人がとても多いです。

 一方、課題として、子どもがどんどん減り、働き盛りの若い人たちは町や東京に移り住み、65歳以上の高齢者ばかりが残る。人口も、40年前に比べて1/4になり、現在は580名ほどの地域です。イノシシやサル、シカなどにより畑も日常的に荒らされるし、畑ができなくなった高齢者の人たちも増える一方。なので、利用されていない畑も増える一方です。働き盛りの20-40歳台の人たちは、上野原の街や八王子や立川などに働きに出たり、家族と共に移住してしまうことも多い。なので、そういった世代の人たちが、あまり地域のことに関われない。テレビ世代・ネット世代でもあるので、都会・街の生活への憧れも強いように感じます。(西原の人は西原が嫌い、という言葉も、複数人の地元の人たちから聞いたこともあります。)

 西原はそんな場所ですが、だからこそできることがたくさんあると思っています!自然だけでなく、昔から続いているさまざまな伝統行事も、今ならまだ継承できるものがあります。畑も今からなら、少し開墾しただけで使えるところがたくさんあります。素朴でちょっとしたことをとても大切にしているおばあ、おじいも多い。だからこそ、パーマカルチャーがとても大きな学びにつながると考えています。

 

最後に

 

 いろいろ書きましたが、子どもたちとともに、大人も、その地域にいる人たちも、楽しく、笑いながら、でも、いろんなことに挑戦しながら学んでいく。そんなことをしていたら、地域にある"問題"と言われていたことが問題ではなくなる。住んでいる人が少なくても、「この村、コミュニティはイキイキ輝いてる!」という場所になるんじゃないか、と勝手に思っています。

 

 また改めて、他の柱や軸についても書いていきたいと思います。